保育の父・佐竹音次郎に学ぶ会 会報34号
-2026,1、14 発行― (担当:中平菊美)
新年を迎えました。皆様にも、本会にも、何事も「午(うま)」くはこぶ年になることを
祈る次第です。本年もよろしくお願い致します。
○内容
1、報告「資料の保管場所が決まる」
2、四万十町に「聖愛一路」等の図書を贈呈
3、2月14日の勉強会「佐竹十太郎について」のご案内
4、2026年度総会に関して
5、読み物シリーズ23「鎌倉保育園の人たち ① 仙葉秀堅」
1、報告「資料の保管場所が決まる」
今年度、資料の保管場所探しが一つの課題となりました。
そこで、音次郎会のこれまでを見守ってきてくださった方々に相談をしたところ、適切な
場所を考えてくださると共に、場所の責任者に下話もしてくださった上に、音次郎会がお
願いに伺う段取りまでしてくださいました。
そのお陰により、お願いに伺うと許可していただき、10月7日と14日で大まかな品々
の引っ越し作業はできました。まだ完全ではありませんし、引っ越しした資料の整理整頓
もできておらず、次年度に取り組むべきことの一つとなっています。
保管場所決めや引っ越し作業にご協力をいただきました皆様に心から感謝しています。
2、四万十町に『聖愛一路』等の図書を贈呈
御承知いただいているように、音次郎会の最大目的は「佐竹音次郎をたくさんの方に知っ
ていただくこと」で、その為に「資料の収集や作成、勉強会、啓発紙でもある会報発行、
小学校卒業生への音次郎関係図書『万人の父になる』の贈呈、関係図書や資料の頒布、
授業や講演等への協力」等を行っています。
そうした取り組みの中で、『感動を共に!私の佐竹音次郎伝』と『聖愛一路』を読まれ
た四万十町の方から、次のような言葉が届きました。
「2度、3度と読みました。自分は小さい頃に大陸に住んでいたのですが、厳しい寒さを
はじめとした過酷な状況を思い出します。そんな時代に音次郎さんのような取り組みがあっ
たことを知り大変に驚きました。また、一つのことに長年かけて取り組む生き方に心打た
れました。これらの本はできるだけ多くの方にも読んでもらえると良いと思い、知りあい
の町職員の方に働きかけようと思っています。」
そのお気持ちを大事にしていただきたいと思います。ただ、ご連絡くださった方が、
交通不便な山奥で、しかも車の運転ができない高齢の方であることを考え、町への働き
かけは音次郎会でも行わさせていただくことにしました。
12月5日、四万十町長さん・副町長さん・教育長さん・生涯学習課長さんに時間を
いただき、「多くの町民の皆様に読んでいただけるように図書館等に置いて頂ければあり
がたいのですが、」と『聖愛一路』『感動を共に!私の佐竹音次郎伝』『万人の父になる』
を複数冊ずつ贈呈させていただきました。
お一人の「たくさんの方にも読んでもらいたい。」「そうなるように働きたい。」との
言葉ではありましたが、私たちの社会が大事にしなくてはいけない大事な心だと思います。
また、音次郎会の願いと合致することでもあると思います。
贈呈の本を四万十町のたくさんの皆様に読んでいただき、佐竹音次郎を知っていただけ
ることになれば嬉しいですね。
3、2月14日の勉強会「佐竹十太郎について」のご案内
・2月14日(土)午後1時30分から、「しまんとぴあ」にて。
・あらまし
①大正12年4月9日、鎌倉にて音次郎の長女里が男子を出産
②同日、男子の父である満鉄図書館勤務の英治に出産を知らせ、命名を依頼
③同月11日、音次郎夫婦と里で男子に「十太郎」と命名
○どんな思いを持って「十太郎」と命名したのかを、日誌の記載を基に推測してみます。
4、2026年度総会に関して
4月1日から2026年度になります。その総会は例年5月10日前後に行われていま
すが、現時点では月日は決まっていません。
内容は「2025年度の活動や会計等の報告、2026年度の役員や活動と予算の決定
等」です。
総会後に、会報35号で主な事柄についてはお知らせさせていただく予定です。
以上具体的なご案内にはなりませんが、参考までにお知らせを致します。
5、読み物シリーズ23「保育園の人たち ① 仙葉秀堅」
○ 音次郎の保育園がどのようなものであったのかが分かる為には、保育園に暮らしていた
人たちを知ることが一つの方法だと思います。今回は「聖愛一路」にも度々登場してくる
仙葉秀堅さんを取り上げたいと思います。
●仙葉秀堅
旗本として彰義隊に参加し上野戦争で戦う。維新後世をすねて浮浪し、心配した知人が
「佐竹さんなら何とかしてくれるだろう。」と連れてきた。やがて会計を担当し、財団法
人理事補となり、大正13年退職にあたって神奈川県知事から表彰された。
(以下、聖愛一路P215より)
「
保育園の宝物爺さんと呼ばれた仙葉老人は、昨年の4月まで36年の長い年月をここに
暮らしてきた。
彼は保育園がまだ腰越の時代に、天涯孤独の身の行く末が案じられると、寺男だった身を
音次郎のもとに寄せたのが、そもそもの機縁となり、ある時は子どものお守やら台所の
手伝いなどしてきたが、鎌倉へ移ってきてからは会計を受け持つようになった。
ところがなかなかに因業な爺さんで始終家の者たちと喧嘩をしては音次郎をこまらせた
ものだが、それでも80になるまで会計の職を退こうとせず、それこそ最後まで忠勤を
励んだのである。
彼が会計係の時代は極度にひっ迫した財政状態だったので、人知れぬ苦心も多く、彼は
いつも金庫が空になると部屋で布団を引き被ってじっと動かなくしていた。それで、子ども
たちまでが、「今日は仙葉のお爺さんが布団を被っているからお金がないんだよ。」と承知
して、食物が例え足りなくとも、ちゃんとあきらめていた。
80を越えたらさすがに身体のほうが効かなくなったので、無理やりに仕事を辞めさせ、
日当たりの良い一室を彼のために提供し、老後を温かく労わってやることにした。音次郎
にとっては共に苦難の道を歩んできたいわば戦友なのであるから、それだけに彼を愛する
気持ちは深かった。
96になってもなかなか元気で、毎日食堂や事務室にのこのこやってくる仙葉老人の
血色のよい顔を見ては、百までは大丈夫だろうと言い合い、自分でもそのつもりでいたら
しかったが、昨春4月枯れ木の倒れるように逝ってしまった。
思えば広い世界に全く一人ぼっちのお爺さんでもあったが、賑やかな子どもたちの声を
聞きながら永年住み慣れた園で、馴染み深い人々に親切に看取られて逝ったことは彼には
この上もない幸福であった。
」
< 私見 >
音次郎の「保育園」は、幼い子どもを念頭に置いての命名だったとは思われますが、年齢
を問わず、自力で家庭生活や地域社会生活が困難な人たちを受け入れています。
音次郎は「保育」という言葉をどうとらえていたのでしょう。
音次郎の「保育園」の特色は、この「とらえ」にあるように思います。
☆「皆様、お体に気をつけてお過ごしください!」